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『ごんぎつね』で「死んだお母さんを鍋に入れて消毒している」?

この記事は約5分で読めます。

たまたま見かけたネットニュースを読んで、めちゃくちゃビックリしたので記事を書いてみることにした

『ごんぎつね』の読めない小学生たち、恐喝を認識できない女子生徒……石井光太が語る〈いま学校で起こっている〉国語力崩壊の惨状
https://news.livedoor.com/article/detail/22591287/

この記事の中に、小学4年生の国語の授業で学ぶ『ごんぎつね』についての記述があるんだけど、それにビックリした

兵十が葬儀の準備をするシーンに「大きななべのなかで、なにかがぐずぐずにえていました」という一文があるのですが、教師が「鍋で何を煮ているのか」と生徒たちに尋ねたんです。すると各グループで話し合った子供たちが、「死んだお母さんを鍋に入れて消毒している」「死体を煮て溶かしている」と言いだしたんです。ふざけているのかと思いきや、大真面目に複数名の子がそう発言している。もちろんこれは単に、参列者にふるまう食べ物を用意している描写です。

児童たちの「死んだお母さんを鍋に入れて消毒している」「死体を煮て溶かしている」という回答にビックリしたのはもちろんなんだけど、

「鍋で何を煮ているのか」という質問にも、ちょっと驚いた。そこ聞く?みたいな

それで、ちょっと考えてみた

小学4年生の私が、授業で『ごんぎつね』をやった時に、「鍋で何を煮ているのか」という質問に、どう返したかなって

私、歳をとったせいか、小学生・中学生・場合によっては高校生の自分をふと思い出して、「あの頃の私、ひどかったよね」「全然、人の気持ちを考えてなかったよね」と思う事、いっぱいあるんだよね。

今の自分から考えると、ビックリするような言動をしていたわけです。まぁ、「子供だから、未熟だったんだな」って話なんだけどね。

でも、「その年齢でその言動って、だいぶ成長が遅くない?」って気もしたりするの。成長のスピードは人それぞれだから、しょうがないけどね。

で、『ごんぎつね』の話だけど、

小学4年生だと、お葬式に出た経験がある子は少ないと思う。出た事があったとしても、故人との関係性によっては食事はせずに帰る人もいたりするし、「お葬式で食べ物をふるまう」という習慣を知らない子供は多いと思う

だから、「参列者にふるまう食べ物を用意している」という発想にならないのは理解できる

それにしても、「死んだお母さんを鍋に入れて消毒している」「死体を煮て溶かしている」というのは、ぶっ飛んでると思う。

普通に「料理つくってる」という発想はなかったのか?って思う

いや、当然、その発想はあったと思う。誰でも思いつく、当たり前に出てくる答えだもん。

でも、私が「鍋で何を煮ているのか」という質問に「そこ聞く?」って思ったように、

子供たちだって「ここを聞いてくるからには、『ごはん』だなんて単純な答えじゃないだろう」「『食事』なんて、話し合いまでして出す答えじゃない」って、無意識に思った可能性あるよね

小学4年生って9~10歳だから、ゲームや謎解きなんかで遊ぶ子もいるだろうし、深読み(?)した可能性はあると思う

それで「死んだお母さんを鍋に入れて消毒している」「死体を煮て溶かしている」という、ぶっ飛んだ&ちょっと怖い回答に繋がったんじゃないか…と予想してみた

「死んだお母さんを鍋に入れて消毒している」「死体を煮て溶かしている」という発想には、現代社会の闇の影響を感じるけど、考える力が低下してるわけではないんだな~と思った

せっかく深読み(?)したなら、もうちょっと考えて「学校の授業で、死体を煮る話はやらないんじゃないか」と考えられたら良かったんだろうけど、授業中に各グループで話し合いという状況だったらしいから、時間が足りなかったんだろう

ちなみに、私が小学4年生の時に『ごんぎつね』を学んだ時は、「ごんのように、(悪い事をした後のつぐないではあるけど)良い事をしていた場合、相手に気付いてほしいかどうか?」という質問をされたのは覚えてる

他のことは全然覚えてない(笑)

国語力は、めちゃくちゃ大事!

今回は、生徒側にたって擁護(?)してみたけど、国語力・読解力が低下してるのは事実らしい

私は大学時代に家庭教師のアルバイトをしていて、成績が良い子も悪い子もみたことがあるけど、国語力が低いと、本当に苦労する

国語力が低いと、国語の成績が悪いだけじゃなくて、他教科の成績も悪い。なぜなら、テストの問題文が日本語だから。教科書も日本語だから。

中学生で小学生並みの国語力しかなかった場合、まず国語力をあげたいと思うんだけど、国語力ってそんなにサクサク上がらないんだ。長年の積み重ねだから。

成績はどうでもいいにしても、自分の気持ちを言葉にできないのは、その子もツライだろう

そこそこ国語力があったとしても、言葉にしにくい複雑な気持ちというのもあり、自分の考えを100%上手く言葉にできる人なんていないと思うけど、ある程度は表現できないとね

…その「ある程度」がどの程度なのか?が、客観的にわからないから難しい気もするけども。

子供の娯楽が増えてて、本を読む子が減ってるとか、SNSでの短い言葉でやりとりとか、いろいろ理由はあるんだろう

でも、「国語なんて勉強しても意味ない」「日本に住んでるから日本語は何もしなくてもできるようになる」という考えが1番ダメなんだと思う

・日本語は使えるようになっても、そのレベルには雲泥の差がある
・国語力が高いほうが、将来仕事をする上でも役に立つ
・外国語を学ばせたいと思っている場合も、外国語は母国語以上には上達しない

という風に、国語への認識を改める必要があるんじゃないかな

そして、各ご家庭では、子供たちが国語力をちゃんとつけられてるか?を意識して見るようにするのがいいんじゃないだろうか

「日本語、喋れてるしOK」って感じじゃなくてね

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